卷之三百九十五 表廿六

將軍僚屬一

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天祖(天照大神)が天地四方を照らし治め、太祖(神武天皇)が天下四海を平定したのも、いずれも武威を第一として、清め平らげる功績を収めなかったことはない。そもそも古代においては天下の民はみな兵であり、それぞれその宗家に従って統属し合っていた。天皇が自ら軍に臨み、その元帥となって、これを鍛え励ました。民が勇武を風俗としたのは、まことに理由のあることであった。時代が下って中葉に至ると、天皇は自ら政を執らず、宰相たる臣も兵事を知らず、すべてを将帥に委ねるようになった。ここにおいて地方の豪傑が一たび呼びかけて号令すれば、草莽の民は先を争ってこれに帰服し、あたかも水が低きに就き、獣が広野を走るかのようであった。将帥の権勢はほとんど朝廷と対抗するほどとなり、その勢いは容易に防ぎ止められるものではなかった。大権が武門に帰したのは、実にここに源を発している。源頼朝は父祖の遺業に頼って、総追捕使となることを願い出て、将軍の号を得た。このとき天下の民、天下の武人はみな喜んでこれに従った。北条氏は代々執権の地位にあって、幼い主君や暗愚な主君を擁立し、御家人を統率すること百余年に及んだ。いまその施設した制度を考えてみると、政所を置いて庶政を決し、問注所を置いて訴訟を裁いた。そのほか侍所が守護・地頭を統轄し、奉行・探題が国々の治民の政をつかさどり、枢機を管掌し、要衝を鎮めるといっても、わずか数職にすぎなかった。その政は簡にして厳、その民は馴れて服した。ああ、陪臣の身でありながら国家の命運を掌握し、その勢いは至尊(天皇)にまで及び、いままさに神器にすら及ぼうとしたことは、実に古今の一大変事であり、臣子として口にするに忍びないところである。しかるに、いまその僚属を表にするのには、そもそも理由がある。そもそも当時の幕僚である大江・三善の徒は、変通の才を抱き、時を済う(すくう)ことの要を知っていた。たまたま頼朝の挙兵に会い、朝臣でありながら赴いてこれに用いられたが、その意は、朝廷が民心を失って久しく、武門がこれを収攬しなければ天下の乱はどこで底止するかわからない、と考えたためであった。ただこの民を安んずることこそが正しいと考えたのである。それゆえその実を奪いながらもその名には居座らず、吏を任命し職を命じるにあたっては、武門本来のあり方を存することに努め、将士に浮華な文物を慕わせず、勤倹簡朴の風に安んじさせた。ついには上下を制御し、一時の小康をもたらすに至ったのであり、その功もまた没することはできない。それゆえ特にこれを表にし、時勢の変化を示すのである。足利氏に至っては、父子が互いに虐げ合い、上下が互いに陵ぎ合い、これはただの群盗の雄にすぎない。記録するに足るものはなく、おおむねこれを削り略した。そもそも神聖(天皇)が武をもって民を率い、その風俗がすでに成っていたものを、棄てて僭窃の者の手に委ねてしまったのは、一朝一夕の故ではない。後に興復を図る者は、これを鑑とすべきであろう。将軍僚属表を作る。

紀年執権評定衆政所執事問注所執事侍所別当六波羅探題 治承四年庚子

十月、源頼朝が鎌倉に幕府を開いた。和田義盛【十一月に任官した。】 養和元年辛丑義盛 寿永元年壬寅義盛 二年癸卯義盛 三年甲辰大江広元【十月に公文所別当となった。】三善康信【十月に任官した。】義盛 文治元年乙巳広元康信義盛 二年丙午広元康信義盛天野遠景【十二月に筑紫奉行となった。】 三年丁未広元康信義盛遠景 四年戊申広元康信義盛遠景 五年己酉広元康信義盛遠景 建久元年庚戌広元康信義盛遠景 二年辛亥広元【正月に政所別当となった。】

藤原行政【正月に任官した。】康信義盛遠景 三年壬子

七月、源頼朝が征夷大将軍に任官した。広元

行政康信義盛【義盛は喪に服して出仕しなかったため、梶原景時がその職を一時代行することを願い出た。義盛が出仕するに及んでも、景時は職を辞そうとしなかった。】 四年癸丑広元

行政康信梶原景時 五年甲寅広元

行政康信景時 六年乙卯広元

行政康信景時 七年丙辰広元

行政康信景時 八年丁巳広元

行政康信景時 九年戊午広元

行政康信景時 正治元年己未広元

行政【ある月に罷免された。子の行光がこれに代わった。】康信景時【十二月に罷免された。】 二年庚申広元

藤原行光康信和田義盛【二月に復任した。】 建仁元年辛酉広元

行光康信義盛 二年壬戌

七月、源頼家が征夷大将軍に任官した。広元

行光康信義盛 三年癸亥

九月、源実朝が征夷大将軍に任官した。北条時政広元

行光康信義盛 元久元年甲子時政広元

行光康信義盛 二年乙丑時政【閏七月に剃髪し、子の義時が跡を継いだ。】広元

行光康信義盛 建永元年丙寅北条義時広元

行光康信義盛 承元元年丁卯義時広元

行光康信義盛 二年戊辰義時広元

行光康信義盛 三年己巳義時広元

行光康信義盛 四年庚午義時広元

行光康信義盛 建暦元年辛未義時広元

行光康信義盛 二年壬申義時広元

行光康信義盛 建保元年癸酉義時広元

行光康信義盛【五月に誅殺され、北条義時がこれに代わった。】 二年甲戌義時広元

行光康信北条義時 三年乙亥義時広元

行光康信義時 四年丙子義時広元

行光康信義時 五年丁丑義時広元【十一月に罷免された。北条義時がこれに代わった。】

行光康信義時 六年戊寅義時北条義時

行光康信義時【七月に罷免され、子の泰時がこれに代わった。】 承久元年己卯義時義時

行光【九月に罷免された。伊賀光宗がこれに代わった。】康信北条泰時

北条重時【七月に小侍所別当となった。】 二年庚辰義時義時

伊賀光宗康信泰時

重時 三年辛巳義時義時

光宗康信【八月に罷免された。子の康俊がこれに代わった。】泰時【五月に罷免された。】

重時北条泰時【義時の子。六月に北方を鎮めた。】

北条時房【時政の三男。六月に南方を鎮めた。】 貞応元年壬午義時義時

光宗三善康俊重時泰時

時房 二年癸未義時義時

光宗康俊重時泰時

時房大友能直【十二月に鎮西守護となった。】 元仁元年甲申義時【六月に死去し、子の泰時が跡を継いだ。】

北条時房【義時の弟。六月に連署となった。】義時【六月に死去した。】

光宗【閏七月に罷免された。二階堂行盛がこれに代わった。】康俊重時泰時【六月に罷免され、子の時氏がこれに代わった。】

時房【六月に罷免され、子の時盛がこれに代わった。】 嘉禄元年乙酉北条泰時

時房中原師員

三浦義村

二階堂行村

藤原家長

三善康俊

二階堂行盛

三善倫重

後藤基綱

三善康連

佐藤業時

藤原長定二階堂行盛康俊重時北条時氏

北条時盛 二年丙戌

正月、藤原頼経が征夷大将軍に任官した。泰時

時房行盛康俊重時時氏

時盛 安貞元年丁亥泰時

時房行盛康俊重時時氏

時盛 二年戊子泰時

時房行盛康俊重時時氏

時盛 寛喜元年己丑泰時

時房行盛康俊重時時氏

時盛 二年庚寅泰時

時房行盛康俊重時【三月に罷免され、北条実泰がこれに代わった。】時氏【三月に罷免され、北条重時がこれに代わった。】

時盛 三年辛卯泰時

時房行盛康俊北条実泰北条重時

時盛 貞永元年壬辰泰時

時房中原師員

北条政村

北条有時

大仏朝直

北条資時

大江季光

二階堂行盛

大江泰秀

三浦泰村

後藤基綱

二階堂行義

安達義景

三浦義村

二階堂行村

藤原家長

三善康俊

三善倫重

三善康連

佐藤業時

藤原長定行盛康俊実泰重時

時盛武藤資能【八月に鎮西奉行となった。】 天福元年癸巳泰時

時房師員

義村

行村

家長

康俊

行盛

基綱

倫重

康連

業時

長定

季光行盛康俊実泰重時 文暦元年甲午泰時

時房師員

義村

行村

季光

家長

康俊

行盛

基綱

倫重

康連

業時

長定

佐佐木信綱【ある月に任官した。】

藤原為佐【六月に任官した。】

平宗光【ある月に任官した。】行盛康俊実泰【六月に罷免され、子の実時がこれを襲った。八月に罷免され、北条経時がこれに代わった。】 嘉禎元年乙未泰時

時房師員

義村

行村

季光

家長

信綱

康俊

行盛

基綱

倫重

為佐

宗光【五月に死去した。】

康連

業時

長定

結城朝光【五月に任官し、閏六月に辞任した。】行盛康俊北条経時重時

時盛 二年丙申泰時

時房師員

義村

行村

季光

家長【八月に死去した。】

信綱【九月に辞任した。】

康俊

行盛

基綱

倫重

為佐

康連

業時

長定

北条朝時【九月に任官し、まもなく辞任した。】

清原季氏【ある月に任官した。】行盛康俊経時【十二月に罷免された。】重時

時盛 三年丁酉泰時

時房師員

義村

行村

季光

康俊

行盛

基綱

倫重

為佐

康連

季氏

業時

長定

北条資時【四月に復任した。】行盛康俊重時

時盛 暦仁元年戊戌泰時

時房資時

師員

義村

行村【二月に死去した。】

季光

康俊【六月に罷免された。】

行盛

基綱

倫重

為佐

康連

季氏

業時

長定

三浦泰村【四月に復任した。】

二階堂行義【四月に復任した。】

三浦康持【ある月に任官した。】行盛康俊【六月に罷免された。子の康持がこれに代わった。】北条実時重時

時盛 延応元年己亥泰時

時房資時

師員

義村【十二月に死去した。】

季光

行盛

泰村

基綱

行義

為佐

倫重

康持

康連

季氏

業時

長定【十二月に死去した。】

大仏朝直【ある月に復任した。】

北条政村【ある月に復任した。】

安達義景【ある月に復任した。】

清原満定【ある月に任官した。】

二階堂基行【ある月に任官した。】行盛三善康持重時

時盛 仁治元年庚子泰時

時房【正月に死去した。】政村

朝直

資時

師員

季光

行盛

泰村

基行【十二月に死去した。】

基綱

行義

義景

為佐

倫重

康持

康連

季氏

業時

満定行盛康持重時

時盛【正月に罷免された。】 二年辛丑泰時政村

朝直

資時

師員

季光

行盛

泰村

基綱

行義

義景

為佐

倫重

康持

康連

季氏

業時【五月に罷免された。】

満定

北条有時【ある月に復任した。】

北条経時【六月に任官した。】

大江泰秀【六月に復任した。】行盛康持重時 三年壬寅泰時【六月に死去し、孫の経時が跡を継いだ。】政村

有時

朝直

資時

経時

師員

季光

行盛

泰秀

泰村

基綱

行義

義景

為佐

倫重

康持

康連

季氏

満定行盛康持重時 寛元元年癸卯北条経時為佐

倫重

康持

康連

季氏【九月に死去した。】

満定

宇都宮泰綱【ある月に任官した。】行盛康持重時 二年甲辰

四月、藤原頼嗣が征夷大将軍に任官した。経時北条政村

大仏朝直

北条資時

中原師員

大江季光

二階堂行盛

大江泰秀

三浦泰村

後藤基綱

二階堂行義

泰綱

安達義景

為佐

倫重【六月に死去した。】

康持

康連

満定

伊賀光宗【ある月に任官した。】

三浦光村【ある月に任官した。】

千葉秀胤【ある月に任官した。】

三善倫長【十二月に任官した。】行盛康持重時 三年乙巳経時政村

朝直

資時

師員

季光

光宗

行盛

泰秀

泰村

基綱

行義

泰綱

義景

為佐

光村

秀胤

康持

康連

倫長

満定

大江忠成【ある月に任官した。】行盛康持実時重時 四年丙午経時【三月に罷免され、弟の時頼が跡を継いだ。】政村

朝直

資時

師員

季光

忠成

光宗

行盛

泰秀

泰村

基綱【六月に罷免された。】

行義

泰綱

義景

為佐【六月に罷免された。】

光村

秀胤【六月に罷免された。】

康持【六月に罷免された。】

康連

倫長

満定行盛康持【六月に罷免された。八月に三善康連がこれに代わった。】重時 宝治元年丁未北条時頼

北条重時【朝時の弟。七月に連署となった。】政村

朝直

資時

師員

季光【六月に誅殺された。】

忠成【六月に罷免された。】

光宗

行盛

泰秀

泰村【六月に誅殺された。】

行義

泰綱

義景

光村【六月に誅殺された。】

康連

倫長

満定

北条時章【七月に任官した。】行盛三善康連重時【七月に罷免され、子の長時がこれに代わった。】 二年戊申時頼

重時政村

朝直

資時

時章

師員

光宗

行盛

泰秀

行義

泰綱

義景

康連

倫長

満定行盛康連北条長時 建長元年己酉時頼

重時政村【十二月に一番引付頭となった。】

朝直【十二月に二番引付頭となった。】

資時【十二月に三番引付頭となった。】

時章

師員

光宗

行盛

泰秀

行義

泰綱

義景

康連

倫長

満定

二階堂行久【七月に任官した。】

二階堂行方【○低く記されている者は、みな引付衆である。以下も同様とする。】

二階堂行泰

二階堂行綱

藤原長泰

藤原景頼行盛康連長時 二年庚戌時頼

重時政村

朝直

資時

時章

師員

光宗

行盛

泰秀

行義

泰綱

義景

行久

康連

倫長

満定

行方

行泰

行綱

長泰

景頼行盛康連長時 三年辛亥時頼

重時政村

朝直

資時【五月に死去した。】

時章【六月に三番引付頭となった。】

師員【六月に死去した。】

光宗

行盛

泰秀

行義

泰綱

義景

行久

康連

倫長

満定

行方

行泰

行綱

長泰

景頼行盛康連実時長時 四年壬子

四月、宗尊親王が征夷大将軍に任官した。時頼

重時政村

朝直

時章

光宗

行盛【四月に四番引付頭となった。】

泰秀

行義

泰綱

義景【四月に五番引付頭となった。】

行久

康連

倫長

満定

行方

行泰

行綱

長泰

景頼

北条実時【四月に任官した。】

後藤基綱【四月に任官した。】

三善康持【四月に任官した。】

清原教隆【四月に任官した。】行盛康連長時 五年癸丑時頼

重時政村

朝直

時章

光宗

行盛【十二月に死去した。】

泰秀【十二月に死去した。】

行義

泰綱

義景【六月に死去した。】

行久

康連

倫長

満定

北条実時【二月に任官した。】

実時【二月に評定衆となった。】

基綱

行方【十二月に四番引付頭となった。】

行泰【十二月に五番引付頭となった。】

康持

教隆

行綱

長泰

景頼

安達泰盛【十二月に任官した。】

安達頼景【ある月に任官した。】

藤原為佐【十二月に任官した。】行盛【十二月に死去した。子の行泰がこれに代わった。】康連実時長時 六年甲寅時頼

重時政村

朝直

時章

実時

光宗

行義

泰綱

行久

康連

倫長

満定

基綱

為佐

行方

行泰

康持

教隆

行綱

泰盛

長泰

景頼

頼景

大江政茂【ある月に任官した。】

中原師連【ある月に任官した。】

大江時秀【ある月に任官した。】二階堂行泰康連長時 七年乙卯時頼

重時政村

朝直

時章

実時

光宗

行義

泰綱

行久

康連

倫長

満定

基綱

為佐

行方

行泰

政茂

康持

教隆

師連

行綱

泰盛

長泰

景頼

頼景

時秀行泰康連長時 康元元年丙辰時頼【十一月に罷免された。重時の子長時が跡を継いだ。】

重時【三月に剃髪して出家した。義時の四男政村が跡を継いだ。】政村【三月に罷免された。】

朝直【四月に一番引付頭となった。】

時章【四月に二番引付頭となった。】

実時【四月に三番引付頭となった。】

光宗

行義

泰綱

行久

康連【十月に死去した。】

倫長

満定

北条長時【六月に任官した。】

安達泰盛【六月に任官した。】

基綱【十一月に死去した。】

為佐

行方

行泰【四月に五番引付頭を罷免された。】

政茂

康持

教隆

師連

行綱

泰盛【四月に五番引付頭となった。】

長泰

景頼

頼景

時秀

北条教時【四月に任官した。】

三善康宗【四月に任官した。】行泰康連【九月に罷免された。子の康宗がこれに代わった。】実時【十一月に罷免され、北条長時がこれに代わった。】長時【三月に罷免され、四月に弟の時茂がこれに代わった。】 正嘉元年丁巳北条長時

北条政村朝直

時章

実時

光宗【正月に死去した。】

行義

泰綱

行久

泰盛

倫長

満定

教時

為佐

行方

行泰

政茂

康持【十月に死去した。】

教隆

師連

行綱

長泰

景頼

頼景

時秀

康宗

藤原基政【四月に任官した。】

二階堂行忠【四月に任官した。】行泰三善康宗北条長時北条時茂 二年戊午長時

政村朝直

時章

実時

行義

泰綱

行久

泰盛

倫長

満定

三善康宗【ある月に任官した。】

教時

為佐

行方

行泰

政茂

基政

教隆

師連

行綱

長泰

景頼

時秀

康宗【ある月に評定衆となった。】

行忠行泰康宗長時時茂