卷之三百九十六 表廿七

將軍僚屬二

現代語訳ステータス: AI一次翻訳(原文照合・専門家レビューは未実施)

文字

大日本史 巻之三百九十六 表廿七 将軍僚属二

権中納言 従三位 源 光圀  修

七代孫 権中納言 従三位   斉昭  補

八代孫 権中納言 従三位   慶篤  校

紀年執権評定衆政所執事問注所執事侍所別当六波羅探題

正元元年己未北条長時

北条政村大仏朝直

北条時章

北条実時

二階堂行義

宇都宮泰綱

二階堂行久

安達泰盛

三善倫長

三善康宗

清原満定

二階堂行泰【ある月に任官した。】

二階堂行方【九月に任官した。】

藤原景頼【九月に任官した。】

北条教時

藤原為佐

二階堂行方【九月に評定衆となった。】

二階堂行泰【ある月に評定衆となった。】

大江政茂

藤原基政

清原教隆

中原師連

二階堂行綱

安達頼景

藤原長泰

藤原景頼【九月に評定衆となった。】

大江時秀

二階堂行忠

伊賀光政【ある月に任官した。】

小田時家【ある月に任官した。】

藤原行氏【ある月に任官した。】二階堂行泰三善康宗北条長時北条時茂 文応元年庚申長時

政村朝直

時章

実時

行義

泰綱

行久

行方

行泰

泰盛

景頼

倫長

康宗

満定

教時

為佐【ある月に罷免された。】

政茂

基政

教隆

師連

時秀

時家

行綱

頼景

長泰

行忠

行氏

光政行泰康宗長時時茂 弘長元年辛酉長時

政村朝直

時章

実時

行義

泰綱【十一月に死去した。】

行久【三月に罷免された。】

行方

行泰

泰盛

景頼

倫長

康宗

満定

教時

政茂

基政

教隆

師連

時秀

時家

行綱

頼景

長泰

行忠

行氏

光政行泰康宗長時時茂 二年壬戌長時

政村朝直

時章

実時

行義

行方【六月に罷免され、四番引付頭となった。】

行泰

泰盛【六月に罷免され、五番引付頭となった。】

景頼

倫長

康宗【三月に罷免された。】

満定

三善康有【六月に任官した。】

教時

政茂

基政

教隆【十月に罷免された。】

師連

時秀

時家

行綱

頼景

長泰【八月に死去した。】

行忠

行氏

光政

二階堂行頼【十二月に任官した。】二階堂行頼【ある月に任官した。】康宗【三月に罷免され、三善康有が後任となった。】長時時茂 三年癸亥長時

政村朝直

時章

実時

行義

行方

行泰

泰盛

景頼

倫長

満定【十一月に死去した。】

康有

教時

政茂【九月に死去した。】

基政【六月に罷免された。】

師連

時秀

時家

行綱

頼景【六月に罷免された。】

行忠

行氏

行頼【十一月に死去した。】

光政

藤原清時【ある月に任官した。】行頼【十一月に死去した。】三善康有長時時茂 文永元年甲子長時【七月に罷免され、八月に義時の四男である政村が継いだ。】

政村【八月に執権となった。時頼の子である時宗が継いだ。】9朝直【五月に死去した。】

時章【六月に一番引付頭となった。】

実時【六月に二番引付頭となった。】

行義

行方【十二月に罷免された。】

行泰

泰盛【六月に三番引付頭となった。】

景頼

倫長

康有

二階堂行綱【四月に任官した。】

二階堂行忠【四月に任官した。】

中原師連【十一月に任官した。】

小田時家【十一月に任官した。】

教時

師連【十一月に評定衆となった。】

時秀

時家【十一月に評定衆となった。】

行綱【四月に評定衆となった。】

光政

行忠【四月に評定衆となった。】

清時

北条時広【十一月に任官した。】二階堂行泰【二月に復任した。】康有長時時茂

北条時輔【時頼の子。十月に南方探題として赴任した。】 二年乙丑北条政村

北条時宗時章

実時

行義

行泰【十月に死去した。】

泰盛

師連

景頼

時家

行綱

行忠

倫長

康有

北条時広【六月に任官した。】

北条教時【六月に任官した。】

大江時秀【六月に任官した。】

時広【六月に評定衆となった。】

教時【六月に評定衆となった。】

時秀【六月に評定衆となった。】

光政

清時

北条義政【六月に任官した。】

北条公時【六月に任官した。】

北条業時【六月に任官した。】

大仏宣時【六月に任官した。】

佐佐木氏信【六月に任官した。】

二階堂行有【六月に任官した。】

二階堂行実【六月に任官した。】二階堂行実【ある月に任官した。】康有時茂

時輔 三年丙寅

七月、惟康親王が征夷大将軍に任官した。政村

時宗時章【三月に一番引付頭を罷免された。】

実時【三月に二番引付頭を罷免された。】

時広

教時

行義

泰盛【三月に三番引付頭を罷免された。】

師連

時秀

景頼

行綱

時家

行忠

倫長

康有

佐佐木氏信【十二月に任官した。】

義政

公時

業時

宣時

氏信【十二月に評定衆となった。】

行有

光政

行実

清時【二月に死去した。】行実康有時茂

時輔 四年丁卯政村

時宗時章

実時

時広

教時

行義

泰盛

師連

時秀

景頼【八月に死去した。】

行綱

時家

氏信

行忠

倫長

康有

北条義政【十一月に任官した。】

藤原時盛【十一月に任官した。】行実康有時茂

時輔 五年戊辰政村【三月に再び連署となった。】

時宗【三月に執権となった。】時章

実時

時広

教時

義政

行義【閏正月に死去した。】

泰盛

師連

時秀

行綱

時家

氏信

行忠

倫長

時盛

康有行実康有時茂

時輔 六年己巳北条時宗

北条政村時章【四月に一番引付頭となった。】

実時【四月に二番引付頭となった。】

時広【四月に四番引付頭となった。】

教時

義政【四月に三番引付頭となった。】

泰盛【四月に五番引付頭となった。】

師連

時秀

行綱

時家

氏信

行忠

倫長

時盛

康有

北条時村【四月に任官した。】

北条公時【四月に復任した。】

北条業時【四月に復任した。】

大仏宣時【四月に復任した。】

北条顕時【四月に復任した。】

二階堂行有【四月に復任した。】

宇都宮景綱【四月に任官した。】

伊賀光政【四月に復任した。】

二階堂行時【四月に復任し、七月に死去した。】

二階堂行清【四月に任官した。】

藤原顕盛【四月に任官した。】

後藤基頼【四月に任官した。】

藤原長経【四月に任官した。】

三善政康【四月に任官した。】

三善倫経【四月に任官した。】行実【七月に死去し、二階堂行綱が後任となった。】康有時茂

時輔 七年庚午時宗

政村時章

実時

時広

教時

義政

泰盛

師連

時秀

行綱

時家

氏信

行忠

倫長

時盛

康有

北条時村【十月に任官した。】

二階堂行有【十月に任官した。】

時村【十月に評定衆となった。】

公時

業時

宣時

顕時

行有【十月に評定衆となった。】

景綱

光政

行清

顕盛

基頼【八月に罷免された。】

長経

政康

倫経

二階堂行章【五月に任官した。】

二階堂行佐【五月に任官した。】二階堂行綱康有時茂【正月に死去した。】

時輔 八年辛未時宗

政村時章

実時

時広

教時

義政

時村

泰盛

師連【三月に罷免された。】

時秀

行綱

時家【二月に死去した。】

氏信

行忠

行有

倫長

時盛

康有

公時

業時

宣時

顕時

景綱

光政

行清

顕盛

行佐

長経

政康

倫経

藤原親致【四月に任官した。】

武藤景泰【九月に任官した。】行綱康有北条義宗【長時の子。十二月に北方探題として赴任した。】

時輔 九年壬申時宗

政村時章【二月に誅殺された。】

実時

時広

教時【二月に誅殺された。】

義政

時村

泰盛

時秀

行綱

氏信

行忠

行有

倫長

時盛

康有

北条宗政【十月に任官した。】

公時

業時

宣時

顕時

景綱

光政

行清

行章

顕盛

行佐

親致

長経

政康

景泰

倫経行綱康有義宗

時輔【二月に誅殺された。】 十年癸酉時宗

政村【五月に罷免され、六月に重時の子である義政が継いだ。】実時【六月に一番引付頭となった。】

時広

義政【六月に連署となった。】

時村【六月に二番引付頭となった。】

宗政【六月に三番引付頭となった。】

泰盛

時秀

行綱

氏信

行忠

行有

倫長【二月に死去した。】

時盛

康有

北条公時【六月に任官した。】

宇都宮景綱【六月に任官した。】

大仏宣時【九月に任官した。】

公時【六月に評定衆となった。】

業時

宣時【九月に評定衆となった。】

顕時

景綱【六月に評定衆となった。】

光政

行清

行佐

行章

顕盛

親致

長経

政康

景泰

倫経

北条時基【六月に任官した。】行綱康有義宗 十一年甲戌時宗

北条義政実時

時広

時村

宗政

公時

宣時

時秀

行綱

氏信

行忠

行有

景綱

時盛

康有

業時

顕時

時基

光政

行清

行佐

行章【四月に死去した。】  顕盛

親致

長経

政康

景泰

倫経行綱康有義宗