卷之三百六十四 志第一百廿一

佛事一

現代語訳ステータス: AI一次翻訳(原文照合・専門家レビューは未実施)

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昔、歴代の聖天子が天下を統治していた時代には、神道を明らかにして祭祀を執り行い、清らかで二心なく、神々はこれに感応し、その霊威は明らかで、みだりに汚すことのできないものであった。民の風俗はこれによって純朴で一つにまとまり、国勢はこれによって隆盛であった。その当時、海外に邪教があったとしても、それを耳にする者はまったくいなかった。しかし時代が下るにつれ、神道は覆い隠され、これを受け継ぐ者もなく、その光明を輝かせることができなくなった。そこに異教・邪説が隙間に乗じて入り込んできた。これはその勢いとして必然のなりゆきであった。

仏法が初めて中国に入った際、いわゆる天堂地獄の説を唱えて人心を惑わした。当時、これを正そうとする議論をした者はかえって退けられ、太子や大臣が力を尽くしてこれを広め、「仏によく仕える者は罪障が消え去り、必ず浄土に生まれる」と説いた。争って伽藍を建て、民の耳目に示した。経を読み法を説いて天下を教化しようとした。すると愚かな民が、これになびき従わないはずがなかった。とはいえ、歴代の聖天子が神を敬った教えは、人々の心の中になお残っており、たやすく奪い去られるものではなかった。

やがて僧行基が現れて神仏同体の考えを唱え始めた。最澄・空海はさらに本地垂迹の説をこじつけて、「仏こそが本地であり、神はその垂迹である。必ずまず仏があって、その後に神がある」と説いた。こうして、明らかな霊威によってみだりに汚すことのできなかった神を、怪しく謎めいて捉えどころのない仏の下に置いてしまった。神ですら仏に使役される身とされたのだから、他に及ばぬところがあろうか。しかも朝廷はこれを尊び崇め、その行うところに任せたので、民を欺き世を惑わすことは、これに至って極まった。

それ以来、朝廷の儀礼・祭典は仏事と入り混じり、世の法は乱れ崩れ、皇室の教化は衰えていった。延暦寺・興福寺の僧徒が朝廷の命に逆らい、しばしば武力に訴え、朝廷に押しかけて強訴し、その望みが叶わなければやめようとしなかったのも、また勢いとして必然のなりゆきであった。さらに、代々にわたって寺塔の造営が続き、その費用は莫大で、民の労力を消耗させた。三善清行が言うところの「天下の費用の五割はこれに費やされる、というだけでは済まない」とは、まさにこのことである。中央の地はこれによって疲弊し、国力はこれによって衰え、その害は言い尽くせないほどであった。それでも世をあげてこれに溺れ、迷って正気に戻ろうとしなかった。賢才・豪傑という非凡な人物がいても、進んでこれを排除しようとする者はいなかった。これは彼らがその弊害の在り処を見抜けなかったからであろうか。それとも、時勢としてどうにもならなかったからであろうか。

ただ、天照大神をまつる神宮だけは、万世にわたって厳然とあり、今に至るまで僧徒がこれを拝むことを許さない。神宮に幣帛を捧げる者も、物忌み・斎戒を解かなければ僧尼に会うことができない。世の教えと人心とを保ち続けてきたその力は、まことに細々としたものであったと言えよう。それゆえ、これほどまでに仏教が横行し乱れていたにもかかわらず、なお英明な君主が代わる代わる現れて、綱紀を振るい風俗を正し、邪説や淫らな行いを時にいくらか鎮めることができた。大宝律令や延暦年間の政治のように、後世の君主がもしこれをよく受け継ぎ行うことができていたならば、仏法による害はこれほどまでにひどくはならなかったであろう。

その教法の是非や、僧徒の才不才については、ここで論じている暇はないが、これによって世の道が衰え、人心が迷い誤ってきたことは、記さないわけにはいかない。今、その一部始終を挙げ、その経緯を詳しく調べて、すべてをこの篇に著す。かくして仏事志を作る。