卷之三百五十 志第一百七

兵一

現代語訳ステータス: AI一次翻訳(原文照合・専門家レビューは未実施)

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文字

ああ、我が国の兵威が振るうところは、まことに至って強大であるといえよう。歴代の天皇が天下を統治し、外国を畏れ服させてこられたのは、この兵威によってである。後世の人々が基業を受け継ぎ、領土を強固にしてきたのも、この兵威によってである。上下を挙げて幾千年もの間、人々は皆この道に従わない者はなかった。これはその由来するところが久しいのである。

そもそも伊弉諾尊・伊弉冉尊が瓊矛を執って八洲を画定されて以来、尚武の象徴が現れた。天祖が皇孫に命じて下界に君臨させ、宝剣を伝えて皇位のしるしとされてから、尚武の道が明らかになった。太祖(神武天皇)は神武の力をもって中州を平定し、霊命を受けて人皇の始めとなられてから、尚武の教えが定まった。天降った神々は、健雷神・斎主神の勇烈はいうまでもなく、速盞鳴尊の大蛇退治や大己貴命の国平定に至るまで、いずれも雄々しい武勇をもって事をなし、国家創業の業を助けなかったことがあろうか。また垂仁天皇が神祇を敬い祭り、弓剣を奉って幣帛とされたことや、物を造り営む者に矛盾を賜って標としとされたことも、皆尚武の道でないものはない。上はこれを教えとし、下はこれを業として、習慣が性となり、勇猛で鋭いことは比類なく、軍勢を動かして征伐すれば対抗して立つ国はなく、威光は八洲の外にまで震い及んだ。

そもそも天祖・太祖の教えが、必ず国民に尚武を求められたのはなぜか。実に千万年の先までも見通し、尚武でなければ国家を安んずることができず、尚武でなければ夷狄を制することができないからである。そもそも葦原中国は天神が授けられた地であり、財宝は豊かで、あらゆる物が富み栄え、外国にはまったくないものである。わが国が隆盛である間は、彼らはもとより我が国に対して欲をたぎらせ涎を垂らすことなどできない。しかし後世に至って、徳に厚薄があり、運に盛衰があれば、どうして夷狄がうかがい狙う患いがないと保証できようか。それゆえ宝剣を授け、遺訓を残して武勇を崇め尚び、その進むべき方向を定め、国家永久不抜の基とされたのである。後世の君主がこの道を尊べば国は興隆し、これに反すれば乱れ敗れる。下って武将の盛衰存亡に至るまで、皆同様でないものはない。大いなるかな、皇祖の教えは。千万世を経ても改めることのできないものである。

そもそも太平の世が長く続けば、政事は次第に怠り、政事が怠れば人心はなおざりになって怠惰となり、人心が怠惰になれば武備は廃れて緩み、武備が廃れて緩めば夷狄が侵し侮り、盗賊が群れ起こるのは、道理の必然である。明君英主はよくこの点を察して、奮い立って心身を鍛え、武勇を崇め尚ぶことを心がける。その武器や陣立て・訓練の制度についても、時に応じて改め変え、すべてその時宜に適うようにして、天下の残虐暴悪を禁じ止める。そうすれば、天祖が宝剣を授け、大いなる訓えを残された趣旨も、ほとんど失われることがないであろう。

今、旧史によりながら諸書を参照し、神聖が兵を用いられた趣旨を尋ね、治乱盛衰の由来を考え、その要点を取って篇に著す。武器兵械については、史書に見えるものが極めて多く、すべてを記すことはできない。ただ刀・矛・弓矢は、古今で制度が異なるとはいえ、剛く鋭く強靱で鋭利であることは天下に比べるものがなく、これもまた神聖が尚武であったことの効験を見るに足るものである。馬政もまた古くからあったもので、その類をもって付け加えて記す。兵志を作る。