卷之三百卅四 志第九十一
禮樂一
現代語訳ステータス: AI一次翻訳(原文照合・専門家レビューは未実施)
¶礼楽の起こりは、その由来がはるか昔にさかのぼる。ただ、遠い上古の世は風俗が素朴で人文がまだ開けておらず、礼楽の実質はあってもその名はまだ明らかになっていなかった。しかし旧史をたずねると、伊弉諾・伊弉冉の二神が初めて夫婦の道を明らかにし、わが天祖(天照大神)をお生みになり、天下に君臨された。天祖は皇位を皇孫にお伝えになってわが国の主とされ、これによって皇統がここに定まった。当時、天業を助けた多くの神々もまた、みな祖父子孫相継いでそれぞれの天職を守り、天孫にお仕えした。これはまさに神聖が父子の親しみを篤くし、君臣の義を正して経国の根本を立てたゆえんであって、どうして礼の大なるものでないといえようか。そもそも宮室・衣服・宴饗・朝会・儀衛の制度から歌謡や管弦の楽に至るまで、みな神代に起源を発し、歴代の聖帝がこれを受け継いで天下を統べ治められた。とはいえ、その制度・文物はもとよりまだ十分には整っていなかった。
¶そもそも歴代の聖帝が礼のうちで最も重んじられたのは、祭祀にまさるものはなかった。祭祀の礼のうちで最も重いのは、天祖を祀ることにまさるものはない。そもそも天祖が皇位をお伝えになるにあたり、その御心を神鏡に託して皇孫にお授けになったのは、祖先を思う心を示すためであった。歴代の聖子神孫はこの遺訓を奉じ承って、同じ床・同じ殿に祀り、みずから祭りを怠ることがなかった。神を敬い父を尊ぶことに、二つの道はなかったのである。下は臣民に至るまで、みな天祖を奉じ天孫を戴き、その祖父が天祖・皇孫にお仕えしたやり方を受け継いで、誠信を尽くして祭祀を承け継いだ。礼楽の根本は、実にここに存する。それゆえ、玉帛・鐘鼓といった礼楽の器物が十分に整っていなくても、神と人とは和らぎ楽しみ、災害は起こらず、風俗は純朴で、君民は親しみ睦み合い、四海の内は一家と変わらなかった。これはおそらく万世の基であって、一たび定まって動揺することのないゆえんである。もとより、こまごまとした儀礼や煩わしい礼式によって君を尊び臣を抑えつけ、そのうえで初めて治まるというようなものではなかったのである。
¶しかし、質素と文飾とが交互に現れるのは世を治める常の道であり、人文が次第に開けてくれば、礼節や器物もまた必ず時に応じて手が加えられ、その時宜に適うようにされるものである。肝要なのは、その根本を失わないことにあるのみである。応神天皇以降、文教は日々に興り、朝廷の儀式や衣服の制度にもおおむね変遷があったはずであるが、古い史書はこれを詳らかにすることができない。孝徳天皇の御代には皇太子が補佐して、五礼を定め諸制度を興された。文武天皇の御代に至って、制度典章は大いに整備された。しかし、その由来をたずねてみると、礼といい楽といっても、おおむねみな隋・唐の制度によるものであった。いわゆる「その器を襲いでその意を知らず、その本を忘れてその末を存する」というもので、つまるところ夏・殷・周三代の治教の道具ではなかったのである。ただ、その事物・名数、昇り降りの作法、会釈し譲り合う作法、拝礼し身をかがめる作法、伏し起きる作法などの細目は、担当の役人の仕事ではあったが、その規定はもとより整っており、これによって改新の政治を飾ることができたのは、やはり盛んであったと言えよう。
¶歴代の朝廷はこれを受け継ぎながら手を加えて飾りを増し、文物は整備されていったが、それにつれて風俗・習慣も変化していった。その音楽や容儀の美しさには見るべきものがあったとはいえ、上代の飾り気のない素朴な気風は日に日に失われていった。これもまた文飾の弊害ではなかろうか。しかし、この沿襲が久しくなると、人々は慣れてしまって疑うこともなく、行き過ぎても後戻りすることはなかった。ときに改革を志す者があっても、ただ旧来の制度を少しばかり増減して当世に合わせるにとどまった。そしてついには、公卿・縉紳(貴族・官人)が礼楽として奉じるものは、こまごまとした儀礼作法の域を出ないようになってしまった。舞の所作や曲調にとどまり、国を治める大本に至っては、それが何であるかさえ知らなくなり、ついには朝廷の政治は天下を統べ治める綱紀たりえなくなった。武人が強暴の力をふるって諸国・諸郡を武力で押さえるようになる一方、いわゆる月卿雲客(公卿殿上人)たちは御殿の階の上で笏を正して威儀を整え、宴席で琴を奏でるばかりで、それが政治に何の役に立とうか。礼楽は上において崩れ、征伐は下から起こり、天下の大権はことごとく甲冑の武士の手に帰し、世の乱れは極まった。それでもなお朝廷において鐘や楽器の台が揺るがず、宝器がもとのままであったのは、思うに神聖(歴代天皇)が国を治められた余烈が、今なお民の心に存していたからである。ああ、なんと偉大なことではないか。
¶そこで今、その本源を推し究め、神代にその証を求め、その沿革を考証し、その得失を詳らかにする。おおよそ祭祀の礼にかかわる事柄は、「神祇志」に具えて記した。そして即位・元会(朝賀)以下の大礼・小儀、および服飾・儀仗の品々、また楽制の本末を、順を追って篇に著し、「礼楽志」を作る。